江戸時代に栄えた「大奥」ときくと、交際クラブの男性会員様のように将軍が美女を選びたい放題できるハーレムと思われがちですが、この時代でもたくさんの女性をまとめるのは大変だったそうですよ。
江戸城は、幕府の政務を行う公の場、まさに男の戦場ともいえる「表」、将軍のプライベートな居住空間「中奥」、そして将軍の正室「御台所」や側室、女中などが生活する「大奥」の三つに大別されていました。この大奥は多い時で数千人の女性が集められていたといわれています。
中奥と大奥は、将軍だけが通れる御鈴廊下という通路でつながっていました。大奥といえば、ドラマでもよく出てくる、この御鈴廊下をイメージする方も多いでしょう。
鈴を鳴らして将軍が通ることを知らせ、華やかで美しい奥女中が一斉に並んで将軍をお迎えする、といえば豪華絢爛な世界にみえますが、自分が指名した女性と夜を過ごすことを、すべての女性に大々的に宣言するのですから、恥ずかしいことこのうえないわけです。
そしてその日、将軍にご指名された女性は、結い髪のなかに武器を隠したりしないかなど、まさに頭の先からつま先まで厳しい身体検査を受けます。交際クラブの女性の入会審査が厳しいのは、身元のよくわからない女性を紹介して、男性会員様とトラブルになるようなリスクを避けるためなんですね。
そして将軍の寝室の襖の向こうには最高権力を持つ奥女中が息をひそめて様子をうかがうために待機し、それだけでなく、将軍の寝室では、御添寝役(おそいねやく)という奥女中が、将軍の寝床のすぐそばで背を向けて添い寝していました。
これは、将軍と夜を共にした女性が、将軍に危害を加えないか、なにか政治的なことでおねだりをしないか監視するためだったといわれています。
なので将軍は好きな女性と甘いピロートークを持つことも許されなかったようです。
交際クラブというビジネスが昔からひっそりと存在するように、愛人を持つのは、いまも昔もお金持ちの特権。とはいえ将軍レベルの方になると息苦しいことの方が多く、歴代将軍のなかには、大奥には一切出向くことなく中奥でひとり楽しく過ごした方もいたそうです。
交際クラブ
ハイクラス東京